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日本は折角明治維新を成し遂げながら、政治の容量に限度があった様で改革が中途半端に終わった。何故、中途半端になったかと言えば旧体制が古い体質過ぎた事に尽きるのだろうが、西欧文化の分析が全く不十分だった事にもよるのだろう。明治政府は何が出来たのだろうか?国家戦略の研究の前に既に負けていたのではないのか?日本が植民地にならない様にとの思いだけで追いつけ!追い越せ!だけの掛け声で喉を枯らしてしまったのだろう。余裕を持った戦略を誰も立てる事が無かったのだろう。しかし、ローマ字運動はメジャーでは無かったものの幕末から存在していたし、多くのインテリ、学識を持つ者達に支えられながら不幸な事に主に二派に分かれ交わる事が無かったのである。この二派は何が利益になるかの視野を見失ないどちらが正しいかの政治を展開してしまったのである。自らを脱ぎ捨てて論争の場を設ける事を避け、互いに刺激を避けて行ったのである。私は論争の無い所に新たに生まれるものはないと考えているのであるが、こう言う運動は出来るだけ開放して新たな風を通した方が良いのである。風とはローマ字にとっての経験である。経験を積み重ねがより読み易い書き易いローマ字になるのである。刺激の無い所に活性化した、活力のある表現は現れないと確信するのである。 |
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