| 日本は明治維新前まで漢字文化圏の中で他の文化を吸収してきたが、開国に伴なってヨーロッパ文化圏と接触すると解ったのだから、変幻自在に表記問題を先取りしても良かったのであるが、何故かこの問題だけは乗り遅れた様である。文化は殆んどの場合、他の文化圏から借入されるものである。現在でも発展途上の国々の教育用語はヨーロッパの言語をそのまま使用して行なわれていると言う事実がある。教育言語は受け皿がなければ学生に効果的な理解を与える事は難しいであろう。その点日本は漢字仮名混淆書記の方法を編み出して効果を挙げたのであったが、戦争にボロ負けして植民地以上の屈辱を味わった。戦後の日本は奇妙な屈辱の精神を育んでしまい、寧ろ表記問題は従来の漢字仮名混淆書記から抜け出せなくなった感がある。これでは日本は世界の進化に取り残されてしまうのである。この事に危機感を持てるか持てないかは今後の日本の運命に大きく関わるのであろう。 |
■ローマ字運動は一日にして成らず哉也!
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■抑も(そもそも)日本語をアルファベットで書けないという理屈もないだろう?■不揃いなアジアの先達に学べ!
■従来型の五十音表換字一辺倒のローマ字運動その❶/その❷等には長い間のご活動に感謝致します!■従来型の五十音表を棄て、音便を表記可能な百音表へ転換しましょう!
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■ 文字変換不要の親IT的日本語へ‼■J'alefabèctoで新しい時代を切り開こう!■我五百年、千年後の田畑に鍬を入れ、種を蒔かん!■伝統表記も心の片隅に置き乍ら!
「J'ALUFBECTO」新提案ローマ字
現在開発中ではありますが、"J'Alfabecto®️ ni yorc te."のクレジットを入れてメモなどにご自由にお使いください。言葉は大衆が等しく使って生きるものです。ちょっとずつ試してみて下さい!時々更新しています。最新版をご覧頂いてアイディアを得て下さい!
2016年1月23日土曜日
| 232)文化の吸収力を援護する |
2016年1月15日金曜日
2016年1月13日水曜日
| 235)不明だらけの進化「言語獲得」 |
| 言語の本質とは何かと云う設問を研究者はする様である。しかし、その様に言語学の範囲で考察しようと(「言語」1994no.10特集)してもその問題提起が正当なものであるか私には解らないのだ。何故なら、どの様な人間の進化も人間になる前の先祖の生存の必然性が解らなければ説明ができない筈と考えるからである。言語は必要だったから作られたとどうしても考えてしまうのだ。言語を必要としたと言う直接的な言い方は出来ないにしても、言語に結実する条件になる素材としての進化があった筈である。その条件とは生産形態にあると考えているのだ。勿論、その前段階の進化があった筈である。現在、見つかっているある種の猿は子育ての為の母親の姉妹による共同作業を発達させていると言う。その共同作業を準備した前段階の何某かの進化に辿り着いていたのだろうと思うがそれがどの様な機能かは解らない。子育ては母親単独ではリスクが多かったと考えた方が解りやすいが、それをしなければ、必然性は何だったのであろうか?単独の母親は育児放棄もあり得る自然の中では子供はどう言う存在だったかなのである。場合によっては、子供を食べる事は大いに考えられる事だったのであろう。子供は一族の継承に不可欠の存在である事は動物の文化にとって親が好むと好まざるとに拘わらず付いて回る生存に不可欠の事である。更に子供は他の動物に食べられることで親が自分の生存も危なくなるという事も危惧するところである。子供の味は親の味でもあるので、子供を守る行為は自分を守る行為でもある訳である |
2016年1月12日火曜日
| 236)言語の流動性を記述する |
| ローマ字のメリットに重要な要素を考えたいと思います。それは、言語の流動性促進と云う面に注目した点です。言語は常に使用者によって新陳代謝を必然的に促される必要のある存在であると云う事を理解しておかなければならないと云う事があります。言語は常に社会の需要に応じて生み出され捨て去られ乍ら変化する事を運命づけられているのですから、言語の生み出される方の利便性に障害があっては不都合になるという事になろうかと思います。棄てる方は障害は一切無いと考えています。では、生み出され際の障害とは何でしょうか?言語供給が滑らかに行なわれるかという事です。言語供給は他言語グループからの借入が必ず起こる事を予測しておかなければならないことです。その為にローマ字は有効であるが、手放しでは喜べない点は従来の仮名書きと同じではないかと云う批判がある事である。その批判は全く当らない!仮名を使っている間は全く世界に遅れを取ってしまうのは目に見えているのである。世界とは世界との互換性の維持の方が重要と感じるのである。世界とは西洋の事ではなく、グローバルになった世界の事である。 |
2016年1月5日火曜日
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