「J'ALUFBECTO」新提案ローマ字

現在開発中ではありますが、"J'Alfabecto®️ ni yorc te."のクレジットを入れてメモなどにご自由にお使いください。言葉は大衆が等しく使って生きるものです。ちょっとずつ試してみて下さい!時々更新しています。最新版をご覧頂いてアイディアを得て下さい!

2014年8月22日金曜日

 
96)同音異義語と言い換えの問題

 
ローマ字書記には難問がかなりあります。同音異義語を避ける余り、言い換えをして、不自然な表現に陥る事になる事も往々にして出て来ます。しかし、日本語は既に難問を抱えながら生きて来たのですから、日本語話者はその矛盾を十分熟知している筈です。従って言い換えの問題はローマ字書記の問題ではないと言えます。言い換えの問題を検討する事自体は正当な事でもありますから、これをローマ字書記の問題と切り離して検討する事はこれはこれで日本語にとって欠かせない事でもあると思いますので、言い換えの為の検討委員会=合意形成機関を立ち上げる事は意味のある事だと理解します。この組織は国の監視は不要と考えます。言語研究者と文筆を生業とする人達が集合するだけで十分な事です。文筆業はローマ字運動には否定的であると推察するのですが、現状を打破しようとの意識があれば発案を期待出来ると思います。

2014年8月18日月曜日

95)これ迄の国語教育とは何だったのか?

国語は全ての学習の基本です。国語が漢字教育に気を取られ過ぎては、「論理」「読解」が劣っては本末転倒なのです。昔の文部省が漢字教育に偏重したのは取り返しのつかない失策でした。漢字に重点置く以上に「論理」「読解」に力を入れるべきでした。漢字が負担の多い学習であると単に言ってるのではありません。「論理」「読解」を省みる事なく重点置き方が間違ったのではないのかと言っているのです。大和言葉を丁寧に品詞分解して来たのだろうか?と言う事なのです。

2014年8月17日日曜日

94)外国人学習者と日本人とローマ字

 
ローマ字運動はそのメリットの中に日本人をターゲットにしていると同時に外国人に対して、日本語を学び易くすると言う目的もあります。ローマ字は文字システムが諸外国と共有するものを多く持っているので、学習をする事は前提であるけれど、外国人にとって導入の間口が格段に広くなっており、敷き居が低いと言える事です。外国人にとって現行の表記方法はハードルが高すぎますが、ローマ字にする事は多くの日本人と外国人双方にメリットが大きくなります。日本人と外国人との交流力に貢献する事は目に見えています。現在の日本人にとって表記手段が増える事になりますが、既にPC入力にローマ字入力を行なっている人口は少なくないと思われるので、ほんの少しルールを覚えるだけですから外国人よりハードルは低過ぎると言って良いと思います。日本人は日本語の表記の学習を小学校、中学校、高校と行ない更に終わる処を知りません。大学を出てからも未知だった表記に巡り会う事は珍しくありません。外国語にもその様な現象は見られると思いますが、読めないと言う事はまず考えられませんので、意味は辞書を引く事で解決出来ますが、日本語の場合には最初から読めないと言う事もあり得ます。辞書を引く前に既にハードルが立ちはだかっているのです。こんな重大な問題を抱えたまま日本語は歩んで来てしまっていたのです。これを問題視しないまま、日本語の将来は暗澹としか言い様がありません。この問題を解決出来るのが日本語をローマ字で書ける様にしておく事であると私は信じているのです。
 

2014年8月15日金曜日

93)日本語の衰退は何処から始まるだろうか?

誰でも日本人であれば日本語を自省無しに垂れ流しする事くらいは出来てます。漢字仮名混じり書きとは自ら如何なる主張をしているのかを十分理解しないまま表出が取り留めもなく、文字通り垂れ流すのが日本語の書記の現状です。書記に於いて考えている事は単語の分析の無いまま音を発する事と漢字で書くかどうかです。難しい事を述べる時は漢字を多用する事ぐらいです。自分がどの部分を表現しているのかの自覚を持たずに受け止める相手に常に依存して表出しているのです。そんなものは表出でもなければ、主張でもないのです。日本語がこのまま書記を省みることがなければ、日本語の衰退は予想以上に早いかも知れません。日本語の内部崩壊です。日本語を維持して行こうと言う根拠を持たないことです。日本語が空洞化すれば日本語を使用する動機が無いという事にことになります。日本語の衰退は書記の曖昧さが出発点となるでしょう。文字変換が間違ったことをご愛嬌として見逃すと、本当の言いたかった事が見逃される訳だから文章力がコントロールを失って行く過程に入って行くことになります。

2014年8月14日木曜日

92)促音は一律「C」を使用するのではなく、その都度「C」の使い方をを取り決めておく。

外来語由来の「促音」にはイタリア語のように子音を重ね書きするものがあります。その場合でも、子音の前に「C」を置く、又は、重ね書きした子音の間に「C」を挟む方法を仮に提案します。重ね書きの前に置く方法は、重ね書きではなくても、単独で促音化する場合(英語由来)もあるからです。又、子音を重ね書きしても促音化しない場合(英語等)もあるので、どちらも判別出来るように「C」の有無だけで促音を判断出来る様にしておきたい為です。

2014年8月12日火曜日

 
91)運動体の接触、連携、表出、議論 「前へ!」

  
日本語をアルファベットで書くと言う試みは明治の初期からと言うより江戸時代末期慶喜の頃から始まっていて、その後明治の知識人達も覚醒した人達はいましたが、何故か流儀流派の運動に分裂したままで終わり実用に発展しなかったのです。何故各流派は派閥を超えて、経験を交流しようとしなかったのでしょうか?それも何と五十音図表の僅かな違いを以って運動をほぼ二分したのです。各々がヒエラルキーを欲しがった者がいたのだろうか?アルファベット化を志向する人達は絶えず日本には発生する土壌があります。セクトが下手な囲い込みすれば運動体は実際の力を失います。力を発揮出来ません。力は自由な発表の場を用意、保証する事によって活性化し、発展をする筈です。アルファベットは書きっぱなしでは同音異義語が発生し、適度に分離書きをしなければ混沌とするものです。混沌は適度なルールを合意を重ねて行くことで、共有言語の一部として使用に耐えるものになって行く筈です。
 

2014年8月11日月曜日

90)ローマ字運動という組織、運動体 の気付き

ローマ字運動に限らず、運動体が=組織が行き詰まり、新たな問題点を見付けられない事態に到る場合は、往々にして組織の構造に問題点があります。その組織はヒエラルキー型であり、構成員がトップに対して自由に物を言えない事態になっているものです。運動体は運動のプロセスで経験を通して問題点、矛盾点に気がついているものですが、ヒエラルキートップが解決の動きに鈍重であれば解決の障害と見られても仕方ありません。問題に敏感なメンバーや組織体を育てることも片方にはやっておかなければなりません。組織は同様な動機を持ったメンバーが集まっている筈ですから、感受性だって共有できる素地がある筈です。一つの組織が背負い切れないのであれば積極的に他の別の流派に連携を打診して経験を共有すべきなのです。運動は独り運動体の私有物ではありません。運動を通して社会とコミュニケーションしているのです。

89)追加予測の助辞「し」

「追加予測の助辞として」「~し」と言うのがあります。これはな行の終助詞ではないので、「h」は付けません。寧ろカンマ「schi,」で中断にしてはどうでしょうか?

2014年8月10日日曜日

 
88)複合助辞について

 
助辞には複数の助辞の連結をさせる時がありますが、既存の運動体を支えてきた人達の中には、複合助辞を連結させる事に固執する方もいます。私は逆の立場です。助辞が複合して新たな意味を獲得したなら、連結複合して一語としての働きを認める事に吝かではありませんが、まだ、其々の助辞としての意味を保っている場合は分離すべきと思っています。
【例】「に」+「は」=「には」ではなく、私は「に」「は」と分けます。語素に分離して書くと言う習慣を獲得しておかなければなりません。品詞は何かを考える前に意味の分離がどの範囲であるかを理解する事の方が重要です。これ迄の国語教育が分離書きには一切無関心で漢字教育が総てと言っても良いくらいでしたので、大和言葉の語素意識を持たせなかった為の意識低下の結果があらわれたのです。

2014年8月9日土曜日

87)効率の向上を計測出来ない日本のIT化

日本のIT化社会は実際どの程度効率が向上したのだろうか?文字変換が出来る様になった?冗談じゃありません。文字変換してる間に本来出来る筈の事が沢山あった筈ではないのか?何が便利になったのでしょうか?確かにPCは一旦テキスト化すると後のプロセスは効率化出来るかもしれないが、文字変換には神経を使って全然効率化出来てないじゃないですか!イキナリテキストを打ち込む英語圏の効率の良さは遥かに良いに決まってるではないですか?!わざわざ苦労して文字変換に費やす無駄な時間は取り戻す事は永遠に出来ないのです。そう言う事にもっと早く気が付かなければならないのではないですか?
日本は折角IT化を目指したにも拘わらず社会全体が元々引き摺って来た書記法について見直すチャンスを失ったためIT化の効果を計測する契機を持たず走り出してしまったのです。その為、IT化の目的まで失ったも同然になったと言えます。これ程までITが進んだにも拘わらず社会がその恩恵を計測出来ないでいるのです。これは大変滑稽です。IT化と言うアクセルを踏みながら、旧来の書記法にしがみついていると言うブレーキを同時に踏んでいるのです。日本人が社会をどう見ているかを端的に物語っているのです。社会が自らの生活の延長ではなく自らは社会に従属するものとしか見られないことを表していると思えます。たったIT化の問題が日本人の生き方を見させる事になっていると言えます。
日本に検証技術がないと言う意味ではなく、検証の視点を持たないことに喜劇の一端を見ます。社会全体が検証しようとしないことに悲劇を見ます。この様な現象は日本が古くから持っていた弱さでした。日本人の分析力の無さは一級と言えるでしょう。強さがズカズカと隣人宅に踏み入る事ではなく、自らの生活を見直し向上させることで十分なのではないかと思います。
日本の企業などには、「コスパ」などと言う恐ろしい言葉が蔓延しています。無能な経営者が使いたがる万能薬と思い込んでる言葉です。「コスパ」などは何の役にも立たない呪文です。経営者がすべき事は先ず分析です。分析して経営のレールを敷くことです。他にすることはありません。

86)疑問だらけのPC文字変換

日本のIT化は効率と非効率が入り混じって、これが本当にIT化された社会なのだろうか?ちっとも効率の上がらないIT化社会ではないのか?非効率が足を引っ張ってるんじゃないのか?変換ミスは逆に防ぐ事が出来ないので殆んど放置されたままじゃないですか!変換ミスで逆に意味不明な文章の横行です。変換ミスで文章の品格を更に貶めているではないですか!ナマジ文字変換技術に業界が手を付けたお陰で起こった悲劇と言うより喜劇でしかありません!文字変換と言う絡み合った蜘蛛の糸から抜け出したら良いじゃないですか!文法規範意識を育ててそれに基づいて記述するには簡素な記述方式を持って育てて行くしかありません。
その為には日本語のアルファベット化を開発して簡素、簡明な表記に改めたら良いのです。言葉なんて僅かな母音と僅かな子音とほんの僅かなアクセントの組み合わせで出来てるだけじゃないですか!今こそ合理的な方法と分離記述を徹底した方法に乗り替えたら良いのです。複雑な漢字仮名混じり文に別れを告げる時です。いつ迄も拘り続けてる様な価値は無いと思いますよ!

 
85)アクセント記号の錯綜

 
アクセント記号の為に表記が煩雑になる場合は、一旦アクセント記号の表示は保留にして当該の語のアクセント記号を別記する。その場合アクセント記号が目的ではないので、アクセント記号は判明した時点で表記は中止する。【例】「死」=schì*=単語が特定出来たら以後は「sch*」で表示する。単語が複数の時は「**」の数を決めて指定する

2014年8月8日金曜日

84)「つ」は「tu」か、「tsu」か? 素朴でもない疑問

 
日本語は徐々に変化をしており、いずれ「つ」は「トゥ」と言う表記も必要となるだろうし、「チー」は消滅し「ティー」が残るだろうと思います。或いは「チーム」と「ティーム」が並行使用されるかもしれません。アナウンサーの言い方には「チーム」と「ティーム」の両方を使い分ける或いは混在して使用しています。従って「ティ」も「ち」も認めておかなければならないと言う事だと思います。これは 「tu」の場合でも「つ」も「トゥ」も表すのであれば逆に両方を認める方法を用意すべきであろうと思います。又、「tsu」はS音には関係ない事なので個人的に排除すべきと考えます。全くの好みの問題に過ぎないのですが。
 

2014年8月7日木曜日

83)何故促音に「C」を使うのか?

促音は二語が連結した時以外にも、単独で出現する場合があります。厳密な意味での促音ではないのかも知れませんが、子音を重ねて記述する以外に、「アッ!」等の様に単独の表現として記述する場合があるのです。その用意はしておかなくてはならないと感じます。単独に現れる促音的な表現を記述する為に「C!」を用意したいと思います。
Cは「し」「ち」を記述する時にも「schi」「tchi」等の様に使用したいので用途の幅が広くなりますが、無理は少ないだろうと考えています。

82)発音にばかり拘っていると見落とす事がある。

発音にばかり拘って、音便を過小評価するとローマ字書きの最大の落し穴に陥る事になります。それは大和言葉にこそ存在する同音異義語を避ける事が出来なくなるのです。そこで、音便の記述方法を何らかの方法で用意しておかなければ表記は混沌とする事になります。その方法とは活用部分の黙字を認める事です。発音されない子音を認める事です。日本語の活用は多くの場合母音部分で行なわれるので、母音を消去しても子音を残して関連を残す方法を摂らなければならないと言う事になります。音便は幾つかの種類があるので、音便用の字母を用意する必要があります。活用部分の子音と音便用の字母との組み合わせで差別をしなければならないと言う事になります。

80)ローマ字運動は何に寄与するだろうか?

  
私は言語については簡素な明解な表現を志したいと考えています。現在の日本語にはその様な指向を持っているでしょうか?意図してその方向を目指さなければ日本語は複雑に絡まり合ったままであろうと思います。出来る限り簡素に表現する事を心掛けなければ日本語は益々意味不明瞭なままの非論理的な言語に陥る事になるであろうと思います。私は日本語の現状を解きほぐし明解な言語に変えることにも寄与出来ると考え、「J'alphabecte」を書いている積もりです。少々以上に狂気の部分を持っているとの自覚はありますが、誰も手をつけないのでやむを得ないと思っています。否、この日本にはわずか乍らこの様な指向を持った人は存在していることは知っています。しかし、少数の孤独な運動体に終わっています。非常に残念に思います。各運動体はたった文字変換の方式に固執して五十音表のみを守って奉じているに終始しています。交流を拒絶していては何の発展もありません。明治時代以来の人脈、方式主義にしがみついている限り将来の展望は一切見えないと断じざるを得ません。柔軟な融合と、視点の気付きを通して運動の発展、拡大を目指す事に躊躇は不要と考えます。
  

79)「標準語」、「方言」等の表現整理

 
標準語、方言等の表現は近代国家の成立と無縁ではなく、「標準語」は国家の中央語を主張するものであり、「方言」は周辺的であり、中央語に対する辺境語であることを言っている訳です。しかし、標準語も方言も元を正せば古典語を源泉としたバリエーションである事にかわりはありません。従って、ここでは(J'alphabecteでは)仕切りは一切なく、共通の視点で扱うものとします。例えば、動詞の四段活用、五段活用の差はなく、四段活用は五段活用の一部にしか過ぎません。又、言語学の用語には捉らわれず、即ち言語学の解釈以前の問題即ち適切に語素に分ける事に力を注ぎたいと思います。但し、必要な説明には学校文法など最低限の知識に言及する事はあります。
 

2014年8月5日火曜日

78)漢語(漢音)の工夫

漢語(漢音)の語尾は特徴的に日本語の中では促音になるケースが多いので促音化を予測してスペルを工夫しておいても良いと思います。特に「一」は「いち」とも「いつ」とも読み、促音化が両方とも起こります。漢語語尾の「つ」「ち」「く」「き」を其々「tcwe」「tcye」「kcwe」「kcye」としておきます。促音化した時に、「e」を取ってアポストロフィ「'」を付けて合成する。
【例】

77) 外来語の不規則な発音由来語について

aa
No.表記発音備考
Àyei英語に頻出
Îyai英語に頻出
Üwju:英語に頻出
Owou英語に頻出
û英語に頻出
Î仏語に頻出

76)「願くば」か「願くは」か

「願ふ」(五段活用動詞)+(名詞化語尾)+(格助詞)「negawhhu」+「aku」+「bha」/「wha」=「negawahhakubha」「negawhhaku wha」

75) 良いは何と読みますか?

表現の任意性と言う事からいえば、「どちらでもいいのですが。」選択は表現者の方にあるのですから、「Yoyh」乃至「Yiyh」ですが、地域的には「Yeyh」もある筈です。これら全て語頭に「Y」を立てて統一性を出しているのですが、読み方は「Yoyh」=よい。「Yiyh」=いい。「Yeyh」=ええ。

2014年8月4日月曜日

74) 形容動詞と言う現象について

 
研究者の中には形容動詞を認めない人もいます。当然だと思います。纏りは強い乍ら名詞、助詞、動詞等にアッサリ分解されるからです。現象の集合体と言えなくもありません。
従来表記【例】〜だ-d'a
未然形連用形終止形連体形已然形仮定形命令形
d'aromwhnid'a.n'an'aran'are
 

2014年8月3日日曜日

 
73)連濁と言う現象について


  
従来表記では濁点で音の違いを表していたことを、アルファベットでは文字自体が別字に変わってしまうので、連濁の痕跡を残すべき時にどうするかの問題が残ります。連濁の痕跡を残すとはどう言う時でしょうか。発音は濁音に属しながら、清音として書いた方が分かりやすいと言う時が多いと思います。それで、連濁は合成語の第二語語頭に発生する事を考えて清音の頭に濁音(小文字)を付加して表記する事としたいと思います。
第二語語頭が大文字の場合濁音小文字を付加する事が良いと思いますが、大文字に対して大文字を付加するという考え方もあると思います。
又、連濁自体を嫌う個人も居ると思われるので、選択が個人に任せられる事を保証される事は考えておくべきと思います。【例】山崎=YamaSaki=YamazSaki=YamaZSaki,etc
慣用的な連濁由来の単語は濁音系の書き出しでも良いとします。【例】位=gurai
 

  
72)「ん」について

  
「ん」は日本語の歴史のなかでは仏典、教典を読む為につくった表記であったので読み方にもバリエーションがあったらしい。

2014年8月2日土曜日

71)外来語の閉音節由来の音

外来語で閉音節だったものは日本語では既に何らかの母音を足して発音してる筈ですが、新たに書き起こす場合には従来の方法に従って援用して綴る事になりますが、それでも子音的なニュアンスを維持したい場合もあるかもしれませんので、その場合の方法として「e」、「u」等を追加する事を提案します。「e」は「え」ではなく、出来るだけ閉音節的に、且つ有声音的に発音する事を意味します。

2014年8月1日金曜日

70)日本語と閉鎖音について

日本語には閉鎖音はないと言われ、且つ、「ん」だけは例外などと言われていますが、実体をよく言い表してるとは言えないと思います。実際には子音の継続音は「S」「F」などがあり、会話の中で明らかに聞き分けられています。地域的に使われている可能性はありますが、それを記述したくなる作家が居ても不思議ではありません。
又、人によっては知的職業の人の中には「T閉鎖音」を「ト(to)」に言い換える日本人の癖を嫌って、なるべく閉鎖音に近く発音したいと思う人も居ても不思議ではありません。従って「tu」や「te(tèではない)」乃至は「tt」があればとの要求があるかも知れません。正確には閉鎖音ではなくてもそれに代わる表記は上記の様に用意出来ると思います。
又、上記の「S」「F」等は将来的には「ss」「ff」と表記して日本人が閉音節として発音する事も可能性を否定出来ないので、既に用意は出来ていると言って良いと思います。