「J'ALUFBECTO」新提案ローマ字

現在開発中ではありますが、"J'Alfabecto®️ ni yorc te."のクレジットを入れてメモなどにご自由にお使いください。言葉は大衆が等しく使って生きるものです。ちょっとずつ試してみて下さい!時々更新しています。最新版をご覧頂いてアイディアを得て下さい!

2015年5月30日土曜日

163)記号使用 に躊躇は不要

同音意義語があると言う事が現実であるのでその通り書くしかないと思います。そこで、記号が役に立つのなら躊躇無く使用して積極的に表現技術を高めるしかないと思います。特に固有語の場合はpiriod、ハイフン等を使い分けて明瞭さを高める事が出来ると思っています。
①動詞活用の連体形(そのまま)と終止形「.」(ピリオド)「終助詞(.)」。②動詞仮定形(已然形)「;」と命令形「!」
未然形連用形終止形連体形仮定形命令形
(nay)(mw)(-で繋いで行く)終助詞(.)記号なしbha,(,)

2015年5月27日水曜日

162)破綻済みの「漢字文化圏」と言う幻想

日本語は中国語に文化的に多くの部分を負って来ましたが、中国語は中国語で自らの変化を築いて来たのですしこれからも独自の変化を模索し、変化して行くでしょう!これを日本が口を出す問題は一切ありません。中国語は日本に輸入されて以降それが全てと輸入を停止してその範囲で賄って来たのです。国字は僅かに作られただけで発展性は見られませんでした。反面中国語の方は文化的事情で必要に応じて拡張して行きました。拡張された分は日本は追い付いていなかったのです。中国語の独自の活性は専ら中国語の事情であるので日本の事情とは絡める事は出来ません。又日本語の中で国字の活性は完全に消滅しています。漢字が発展する事情は言語特性の違う日本語と重ね合わせる事は出来ません。「漢字文化圏」等という事は破綻済みの幻想です。今見切りを付けて、漢字の呪縛から抜け出す時です。
しかし、漢字の造語供給力が落ちている訳ではありません。落ちているどころか、無制限に拡大され留まるところを知りません。これ迄放任状態の造語力だったので同音意義語が無制限に増えてしまったと言える訳です。言語政策が全くなかったという事です。言語政策は時として政治利用された歴史もありますが、言語特性をよく理解した上での抑制があっても良かったのです。漢字は使用者の不便の無い様に配慮すべきだったと思います。
抑も「漢字文化圏」なるものは存在していない幻想に過ぎませんでした。過去に漢字を使用した国どうしの漢字の使われ方は似て非なるものでした。ですから、「筆談」が可能と言うのは思い込みも良いところです。漢字は各国毎の使われ方があるので、通じる事はありません。

2015年5月25日月曜日

161)漢語の特徴的スペルを考える

漢語由来の単語は実は一語の語尾に規則性がありこれを指標に特徴付ける事も出来ると思います。その特徴は語末尾を持たない単母音語を除き「①う」「②い」「③き」「④く」「⑤ち」「⑥つ」「⑦ん」に限られています。①と②、③と④、⑤と⑥、は互換性を持つ場合もありますので、其々一纏めにしておきたいと思います。③④の例として「京」は「きょう」乃至「けい」と読みます。⑤⑥の例として、「一」は「いち」乃至「いつ」と読みます。/……

2015年5月24日日曜日

160)表音化技術はメディア改革の事です

 
私は昔は政治的な左派でしたが、この仕分けは最早無駄とは言わないが、効力が薄まって来たと思っているのです。常に右か左の還元をしなければならない癖は虚しいと思えます。ローマ字運動が左右どちらのものかの議論は非常に無駄です。中間だと言う訳ではありません。一見どちらかであり得ますが、単なるメディアのひとつであると解釈出来ると思っています。周回遅れのメディア革命です。表音化は世界の殆んどの民族が採用した表記技術です。漢字仮名混交文は誠にどっちつかずの方法です。中国は拼音すら日常化出来ない保守性を示しています。周辺のアジア諸民族は漢字文化圏から距離を置いて早い時期に脱出していますが日本は全く漢字べったりで自立出来ない幼稚性を示しています。
 

2015年5月23日土曜日

159)ローマ字とコスト比較

日本語の出版のコストは有形無形に莫大なコストが掛かっていました。出版の編集はローマ字の場合でもついて回る仕事である事には変わりありませんが、費用以外の時間的コストは大きく節約出来る筈です。それは結局字母の少なさによるもので、浮いた時間を別の編集作業に振り向けられる事は明らかです。又、印刷出版に限らず、ネットワークの社会でも原稿作成から後工程に持って行くコストは格段に抑える事が出来ます。今漢字仮名混交文はコンピューターの恩恵に浴していますので、その利益を大きく感じる事は少ないと思われますが、不可視の部分でコスト低減の利益は必ず出てくると思います。

2015年5月22日金曜日

158)ラテン語系外来語の取り扱い

外来語は日本語話者が聴き取れた範囲の表記をするしかありませんが、ラテン語の場合は既に話者が存在せず、後継言語が各言語毎の発音で読んでいるのが実情です。ラテン語は宗教だけでなく学術用語に、学名に使用されており、国際語とも言える地位があります。日本語においても日本語話者が発音出来る読み方で導入する事を提案します。英語を通した発音にすると、英語の発音の癖の為にラテン語内の関連を失う事になるかも知れません。従って、ラテン語そのままのスペルで日本語の発音をする事を提案します。または、現代ヨーロッパ語のスペルの傾向を取り入れても良いと思います。この件は具体例を別項で検討したいと思います。

2015年5月20日水曜日

157)避けて通れないスペル決定の議論
 
これ迄のローマ字運動はスペルを決定しようする議論を殆んど避けて来ました。これは何故かと言うと運動を担って来た方々の中には自然過程論とも言うべき考え方があって、「現在は議論はしないが、最終的には大衆がローマ字を使っているウチに淘汰されて決まって行くだろう」と言う、消極的な態度でした。確かに大衆の関与の仕方が重要な側面を持つ事もあるだろうと思いますが、スペルに運動が関与する事はローマ字運動が日本語をどの様に捉えるかと言う事にも関係する事なので、議論そのものを次世代に残す事も仕事としてやっておくべきだろうと強く思っています。スペルがこうでなければならないと主張に拘泥した議論ではなく、この様なスペルが読み易く、明瞭ではないかと提案しておくだけで良いのです。議論に供する材料を提供する事の方が重要であると思います。
スペルは思いつきではいずれ行き詰まります。日本語文法の中での合理性、整合性、読み易さ、シンプルである事、識別性等の配慮が欠かせません。
スペルの問題は言語管理に通じるものがあります。言語管理と言うと政治的権力介入を想像させますが、そう言う事とは違い、言語の明晰性を維持する目的の、分野を問わない言語医療的発想による介入行為です。ですから、政治的権力介入とはハッキリと区別するものです。ですから、落書き迄は管理出来ませんが、教育現場、公的文書管理にはボランティア的介入をする場面が出てくると考えます。

2015年5月18日月曜日

156)ローマ字運動は改革に関わる事

改革はタイミングも必要だろうと思いますが日本は世界に自らの位置どりを測るのが何故か下手だと言わざるを得ません。世界は大きく動いている事を注視する事をしていないと感じます。改革は何の為に行なうのでしょうか?日本が存在感を正当に表す事です。引っ込んでいたら何の発信も出来ません。また、好むと好まざるとに関わらず競合している国家群があります。戦争をしようと言う訳ではありません。日本を魅力的な国にすれば良いのです。

2015年5月15日金曜日

155)ローマ字と文法規範意識

ローマ字書きは分かち書きが原則です。これ迄の様な、音だけを書き写していた漢字仮名混合文の区切りもなく書き綴っただけの曖昧な表現は許されません。明瞭さがないからです。大和言葉に特にそれが求められるので文法規範意識が必ず求められる事になります。大和言葉を書く際の意識を明確に持たなければならなくなります。書き手の日本語に対する意識が格段に向上する事になるだろうと思います。

 
154)ローマ字運動と事務局制

 
明治以降のローマ字運動は有志運動だったのだと思います。有志運動は議論中心の意見交換が主な仕事で、少し異質な意見がある場合には、発言権の強い者の意見が通ると言う形であっただろうと思われます。どんな運動でも有志運動から始まるものでしょうが、運動の継続性や公平性、非恣意性を維持する為には、いずれ事務局制を採用する事になると思います。しかし乍ら、ローマ字運動は有志運動に留まってしまったのではないだろうかと疑問に思います。私はこの運動には事務局の独自の役割が与えられて然るべきであったと思います。人事募集をして外部から有償で人材を雇い入れるべきであったと思います。何故なら、有志と言うのは職業を持っていたりすれば片手間にならざるを得ないので、有志がメンバー手を回せない仕事(同音異義語等の検索作業を組織的に行う事等の整合性検証)を依頼有償引き受け等を行なう事が出来た筈です。運動は相互の援助が不可欠です。運動者が共有出来る運動の形を持つ事が、賛同者を増やす事でもあります。有志がひとりでやり切れる事は限度がありますので、作業分担と言う意味でも運動を見直しても良かったのです。

2015年5月4日月曜日

180)方言(地域語)と古典語とローマ字表記

 
日本語の方言(地域語)は古代の古典語を基盤としながら、多岐に渡るバリエーションを持っています。方言(地域語)は亜流では全くなくて、古典語を引き継いで適応して行った理に合った変化を遂げているもので、単に他の地域と交流を長い期間絶たれた為の孤立を経験したと捉えるべきです。従って、ローマ字表記に於いても、どの様な方言(地域語)も日本語として表現し、表記出来なければなりません。先ずその為には古典語を現代語以上に正しく表記出来ている事が前提でなければならないと言う事になります。
 

2015年5月2日土曜日

179)何の為のスペル決定なのか

頭に浮かんで来た音を只繋ぎ止めると言うのがこれ迄のローマ字運動でした。仮名漢字混合文を書いていた時から一歩も踏み出していない方法です。しかし、ローマ字はシッカリとその場で読ませる事も目的の一つです。短文でも完結していなければ役には立ちません。同音意義語が障害となって何が書いてあるのか不明になってしまうのは大変リスクのある書き方と言えます。日本語としてどう言う位置付けの言葉なのかは明確に整合性を維持しておかなければならない事です。
従来は仮名書きが連続すると却って煩雑になることを避ける意味もあって仮名漢字の混交が必要であるとの論拠も聞かれた事もありました。しかし、私達は大和言葉をこそ明瞭に書いておくべきと強く想っていますので、大和言葉だけでも書き分けられる事は最低限必要な目的になっている訳です。その為のスペル決定であるのです。その為に「①完結性」、「②合理性」、「③整合性」、「④利便性」、「⑤発展性」等を常に意識して作り上げたいと考えています。

2015年5月1日金曜日

178)途中から読めるローマ字を目指して!

旧いタイプのローマ字運動は同音意義語の対策として、「文脈で判断する」と逃げを打っていましたが、では、「途中から語句を捜して文章を読む事もある」と言う想定は否定したも同然でした。今ローマ字を考えるに当たってスペルに拘っている理由はここにあります。出来るだけ途中の語句からでも読めるローマ字を目指して今後も考えて行きたいと思います。文脈に頼るのは最後の手段としたいです。