「J'ALUFBECTO」新提案ローマ字

現在開発中ではありますが、"J'Alfabecto®️ ni yorc te."のクレジットを入れてメモなどにご自由にお使いください。言葉は大衆が等しく使って生きるものです。ちょっとずつ試してみて下さい!時々更新しています。最新版をご覧頂いてアイディアを得て下さい!

2013年4月10日水曜日

24)ご挨拶

内容はいちいち面倒な事ばかりをくどくど書いております。あくびの一つや二つ出ることは請け合います。こんな事ばかりを考え始めて五十余年経ってしまいました。私は今やそう言う歳になっております。狂気かもしれないもの(否、狂気でしょうとも!)を育むとは正直辛い時もありましたが、漸くこの度、小さい規模ながら纏めを、ブログツールを使って、致しました。眼目は日本語表記の中の漢語に対する過重、且つ偏重な扱いを出来るだけ排除し、和語=大和言葉の自立的、正当な復権を目指すことにあります。また、重要な概念は漢字で書いとけば済むと言う様な、或いは漢字が如何にも尤もらしい概念を表すかの様な根拠の薄い安易な文字使用を反省し、改めたい事もあります。また、外国語からの借用を簡素化し、造語の安易な乱造乱発を抑制し、制御し易くする事も若干視野にあります。これで何もかも目的を同時に満足させる事が出来る訳ではありません。私の期待値が過剰になってるだけかも知れません。これで日本語の四〜五百年分の夢を見る事が出来ると思っているのです。明治以来百余十年の軛(くびき)から解放されることを願っております。
漢語は漢字仮名混り文の中では一度習得すればと言う事を前提とすれば読書スピードはかなり早くはなるが、書記においては読書スピードよりは遥かに劣る。また、タイプライターの発達を十分に行なえなかったと言う事実がある。また、安易な造語知識の下で、数多くの同音異義語が作られた経緯があり日本語に複雑さを加えた。言語、国語は無用な混乱を避けるために適度な登録型の管理が必要と思われますが、人の思想にまで干渉することは規制しなければなりませんが、登録型にすれば権力の干渉を排除する方法として認められると考えます。

明治維新が唐突にここで出て来ましたが、私の思うところ、明治維新は江戸時代まで日本がそれなりに蓄積して来た文化、思想を根こそぎと言って良いほどに精算したと思っています。文化とか思想は蓄積、厚みがものを言うところもあります。その根っこも全て引き抜いて、それまで育っていたものを枯らし尽くしたと言っても良いと思います。明治維新、明治時代と言うのは江戸時代を腰を落ち付けて振り返るゆとりも無く西欧化へ突き進んでしまった拙速な時代だったと、極論的ながら総括します。

さて、問題はこのアルファベットを誰が使うんだと言う事になります。ここがたった一人で、狂気じみて育んで来ただけの自己満足作業の弱い所でもあります。誰も見向きもしなければ自己満足のゴミ屑でしかありません。私は「これを使って下さい!」とは言いません。精々「メモ書きにでも使えるならどうぞ!」ぐらいの気持ちです。プライベートな使用をお勧めします。実際便利な筈です。隣から覗き込まれても盗み見は簡単に出来ませんよ!何が書いてあるか絶対に解りません。まるで、外国語の様に見えます。
「え〜い!こうなったら生きてる人間には用はね〜いやい!未来の子供達に、未来の日本人(血縁であろうと無かろうと=移住者も含めて)に残してやろうじゃないですか!」
私は日本語の欧米化を望んでるのだろうかと思いますが、否、、逆なのです。単に翻訳文化が嫌なだけです。翻訳して解ったつもりになってる事が嫌なんだと思います。明治以来の伝統が兎に角嫌いです。どちらかと言えば江戸時代の文化に想いを馳せております。木+竹であろうと欧米文化を直接知って理解すべきところは理解しておく事の方に価値があると考えてしまうのです。 私の考えるもう一つのポイントは低コストな知的集約です。翻訳家に稼がせるコスト分を出来るだけ削減して、否、冗談ですが、学習しやすい日本語を目指すべきだと思うのです。また、日本語の中に混淆を起こしておきたいのだと思います。かつて英語が経験した様に。日本語をもっと活性化させたいのだと思います。

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