「J'ALUFBECTO」新提案ローマ字

現在開発中ではありますが、"J'Alfabecto®️ ni yorc te."のクレジットを入れてメモなどにご自由にお使いください。言葉は大衆が等しく使って生きるものです。ちょっとずつ試してみて下さい!時々更新しています。最新版をご覧頂いてアイディアを得て下さい!

2013年4月9日火曜日

22)日本語を軽量化すると言う発想

私がこのような提言をするのには、日本語を軽量化したいと言う意味があります。日本語の姿を簡素にし、その上で英知の流入を図り易くする目的があります。何を言っているかと言えば、現状の書記法があまりにも複雑を極めていてその習得に膨大なコストを掛けている事の不健全さを感じるのです。言語習得のコストと言っても目に見えないコストであるため、身に染みた意識も持てないのではないかと思います。言語の書記法と言う社会的共有物=インフラについてはコストの測り方は大変難しいのですが、学校教育の中に組み入れられたメニューを日本人は二十年近く掛ける訳ですから、年数的なコストは莫大と言えます。また、実際には二十年近くの習得時間を終了してもなお現実社会に出ても難読の文字や表現は残っていて常に不勉強を恥続けなければならない状況が続くのです。文字の習得と知識の習得とは区別しておかなくてはならないと思います。知識の獲得は幾つになっても続くものですが、文字の習得は早く終えておきたいものではないかと思うのです。日本語が我々日本人のものに十分なりきっているのだろうかと疑わざるを得ません。この表記技術の重さは日本人にとって負担になってる筈なのに、これをどうする事も出来ないでいる為、改める事には手も足も出ないでいるし、誰も何とかしようと言い出せない状況です。また、この表記技術の複雑さは外国の研究者レベルの好奇心の対象にはなっていても、これから日本にとって必要な一般労働者レベルにとって負担の大き過ぎるものである事は目に見えています。もう既にそうなっているのではないでしょうか。一般の人にとって二十年近くのハンディキャップを数ヶ月、数年で埋める事は殆んど絶望的であると言えます。現在の外国人に日本語を教えるプログラムは、丸飲ませ教育になっていて何の文法的背景説明もなく押し付けているのが現実ではないでしょうか。外国との単なる比較をしているのではありません。日本が一体どのようになって行くのかと云う事を考えているのです。
明治維新前後に多くの知性、知識人が気がついた事は日本語はローマ字を使わなければ立ち行かないだろうと言う事でした。気がついた人は多かったのですが、当然ながら障害も多くありましたので、其々の方式を立てて運動の旗を振ったのでした。お馴染みの訓令式、日本式、ヘボン式等の名前が思い浮かべる事が出来ると思います。その後、その多くは学校教育に結実し実施されたのですが、その内容はまだ五十音表の方式を提出するだけに留まるものが多く、五十音表の習得のみで総ての表現が可能だろうと云う理解に留まっていたのでした。そして、同音異義語に対しての対応は、精々殆んど言い換えの奨励をするだけに留まっていたのが実際に出来た事でした。言い換えは書き手の選択を制限し、表現の自由さを保証したものでは決して無いので、実際にローマ字の可能性を狭めるものでしかありませんでした。仮に何がしかの文章をローマ字で書けたとしてもギクシャクした不自然な文章にしか書けないということになったわけです。外国人がギクシャクした文章を書くのはご愛嬌で済ませられても、日本人どうしではそうも行きません。日本人と言いましたが日本語話者と言い直します。日本には既に多くの生得的日本語話者が存在してます。

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